「見えとるか!?」
「全然へーきっ。」
〜9.狂宴の、瀞〜
もう1つの松明も陸斗によって切り落とされ、辺りは月明かりのみになった。
七つ刻の暗闇に目が慣れていた春緋と陸斗は難なく敵を斬りつけることができた。
一方、護衛達は、不意を衝かれたのと、明かりがなくなったのでうろたえているよ
うである。
隊列の進行は完全に止まった。
塀から飛び降りて斬りつけた最初の相手は、恐らく腕を斬り落としただけに止まっ
た。それだけでも、もう動けやしないだろう。
続いて二人目を狙い、春緋は刀を振りかざす。
きん。
と軽い音がして春緋の刀が弾かれた。
危うく刀を力で持っていかれそうになるが、何とか再び握り締める。
その一瞬の隙を衝かれて、鋭い痛みが右手の甲に走った。
狙ったのは左手にいた歩兵だが、いつの間にか前の列の槍手がこちらの援護に回っ
ていた。
槍が相手では分が悪い。
今回は刃先を弾いたところだったので、運良くかすり傷だったが。
少し隊列から離れて間合いを取る。
2本あった槍のうちの一手しかこっちに回っていないということは。
――リク兄はどうなってる!?
馬車の大きな車体の影はまだ見える。
刀を弾く音は聞こえるが、幾人かが影になっていて、どれが陸斗なのか見分けがつ
かない。
標的は殺せたのか。
護衛は潰せているのか。
「ぅわ……っ。」
隊列の前の状況を気にしていると、槍が一気に伸びてきた。
腹部を狙ってきた槍先の力を、刀で逸らす。
どうやら人のことを気にしている場合ではないらしい。
血が滴る右手をもう一度目に入れ、舌打ちする。
腕を斬られて倒れていた歩兵を騎馬が拾い、抜き身の刀を振りかざしてそのままこ
ちらに迫ってきた。
ギリギリまで引き付ける。
相手が刀を振り下ろす瞬間、春緋は身を屈めて馬の足を薙ぎ払う。馬は悲鳴をあげ、
2人を背に乗せたまま塀に突っ込んだ。
春緋はその低い姿勢のまま右足で一歩大きく踏み出し、下から刀を振り上げる。こ
ちらに伸びていた槍の柄を狙った。
「っち。」
力が足りなかったらしく、槍先を切り落とすことはできなかった。刀が柄に食い込
んで止まる。
すかさず左足で槍先を踏み付け、刀を楔に、無理矢理曲げて柄を折る。
その拍子に一気に刀を柄から引き抜き、その力のまま槍手の両手を撥ね上げる。そ
れは血を撒き散らしながら空を飛んでいった。
先ほど捉え損ねた歩兵はすでにその場にはなく、どうやら隊列の前の応援に回った
ようだ。
そこに後ろから回り込もうと駆け出した瞬間。
止まっていた、馬車が走り出した。
――どういうこと!?
陸斗が斃れて相手が去るのか。
それとも戦う陸斗と護衛たちを置いて、馬車のみが先にいくことを選んだか。
馬車の中へ陸斗が入り込み、それを振り落とそうとしているのか。
いくつかの答えが頭に浮かぶ。
そのときに聞こえたのは信じがたい言葉だった。
「退け!!」
間違えるわけがない、陸斗の声だった。
何を言っているのだろう。
こんな怪我くらいなんでもない。
仇が、こんなにも近くにいるのに。
まだ届くのに。
祈りを、届けなければならないのに……!
「嫌だ!何言ってるの!?」
「退け!約束やろっ!!」
立ち尽くす春緋に気付いたのか、もう1人の槍手がこちらを振り向き、突き用に手
を握り替えた。
向こうでは金属音が激しく聞こえる。
最初の隊列構成からして、こちらで春緋が3人倒していても、向こうにはまだ5人
はいるだろう。
「聞けやっ!!」
どちらか一方でも危険を感じたら退く。
それが今回のルール。
陸斗の短い声に春緋は体をびくりと震わせた。
こちらに向かっていた槍手の間合いに入ってしまう前に、一歩退き、生垣を越えて、
民家の井戸に足をかけて屋根に上る。
追いかけてきた槍先に、どこかから鋭く飛んできた苦無があたり、大きくぶれた。
刀を仕舞う間もなく、急いで何軒か先の屋根に飛び移る。
いざというときのために、現場に向かう前に決めておいた落ち合い場所へ向かう。
血を追われないために、右手は着物の中に入れた。
退け、と言った以上、陸斗も無理はせずにすぐ来るはずだ。
悔しさで唇をかみ締め、振り返らずに走った。
「悪かった……。」
落ち合い場所にした長屋と長屋の間の狭い路地にしゃがみ込んでいると、陸斗はす
ぐに現れた。
刀は湿った土の上に横たわっている。
「あたしこそ約束守らずに――っリク兄、怪我したの!?」
声に見上げると、左の二の腕あたりの着物がじっとりと黒ずんでいるのが見えた。
「槍が厄介やったな。まぁそんなひどないから心配すんなや。」
そう言いながら、長屋の壁に背を預けて、ずるずると座り込む。
左の袖を引き破り、口を器用に使って傷口を塞ぐ。顔に巻いた手拭いを解き、陸斗
は春緋に渡した。
手だけで渡し、春緋を見ようとしなかった。ずっと俯いている。
「悪いけど、きつく縛ってくれんか、肩の方。」
「ん。」
傷口よりも肩近くの腕にきつく巻きつけ縛る。
「……あたしがすぐに退かなかったから……ごめ――」
「違う。俺の力不足や。俺の方こそ悪かった。こんな良い機会滅多にあらへんのに
……!」
無事な方の右手の拳を地面に叩きつける。
「……き、っと……斎さんがまた持ってきてくれるよ、『仕事』。」
「アテになんかしとらん。」
「……きつ過ぎない?腕。」
「ちょうどええよ。ありがとな、ハル……お前も怪我したんか!?」
縛っていた手元を見て、右手に巻かれた手拭いに目敏く気付く。
「全然だよ、ほんのちょっとのかすり傷。」
よほど驚いたのか、やっと眼を見つめてくれた陸斗に、安心させるように春緋は微
笑む。
「……すまんかった……ほんまに……!」
「ううん。リク兄が無事でよかった。……でも、ね、リク兄。今日の護衛の――」
「俺もそれについて話したいと思っとった。場所変えるで。」
先程の現場から離れ、櫻家からは然程遠くない河原。草が繁る土手に隣り合って座
る。
川面に月明かりが反射して、路地なんかより数倍相手がよく見える。
ここまで来るときも、まったく騒ぎを感じなかったので追ってくる者はいないだろ
う。
それに櫻家に帰るには、仕事を達成していない分まだ早く、斎に報告する前に二人
の見解を話し合っておきたかった。
「やっぱりおかしいよな。」
「うん。最初見たとき、違和感あった。あの隊列の組み方。」
そう、二人が気にしたのは見たこともない、護衛の隊列の配置だった。
先頭に一対の松明。その間に入るように要人を乗せた馬車。つまり、馬車の前に護
衛はいない。
その後ろに五人が一列に並んでいる。左右とも一番外側は槍手。その一つ内側に騎
馬が合わせて二頭。中央には歩兵が一人。
その列の後ろは歩兵が二人。
総勢九人の護衛だった。
「変な組み方やったけど……。」
「すごく攻めにくかった。」
「やな。……うまいこと考えよったわ。退かんかったらやられとった。」
「ごめんね、リク兄。」
「いーや。力不足を思い知ったわ。」
両手を後頭部に回し、土手に転がる。足を組んで。
星もよく輝いている夜だ。
「癪やけど佐倉に言うて、うまい対策考えさせないかんなぁ。」
「智略は任せるしかないね。」
ははっと軽く笑って春緋は同意した。
空を見つめながら、そこに出て来た名前でふっと思い出す。
「斎さんて、優しいじゃない?柔らかいっていうか。」
「俺はそうは思わんけど。ハルにはまぁそうかもしれんな。」
「今回の『仕事』の話したときさ、アサ姉にちょっと冷たかったと思わない?」
「晨陽が行くゆーて聞かんかったときか。」
ちら、と目線を春緋に寄越す。
「ん、そう。」
『それなら私が行けばいい。』
『私だって、いつも櫻家にいながら案じているもの、春緋と陸斗を。私だけ守られ
ているわけにはいかない。』
『それは駄目です。』
斎はそれきり晨陽の言う事を聞かなかったのだ。
それが何だか、春緋の知っている斎とは違う印象だった。
陸斗はまた空に視線を戻して言った。
「晨陽は確かに闘うことに向いとらん。」
「うん……剣とか、海俐みたいな苦無とか持ってるの見たことなくて。だから吃驚
したんだ、最初晨陽が行くって言ったとき。」
「ってことは、や。捨て身の覚悟やったってことやろ。」
「そしたらアサ姉の『祈り』は……。」
「届かんやろな。俺は自分が滅んだとしても、ある人物の命を奪えたなら相討ちで
も構わん。けど晨陽の場合はあいつが生きとらんと何の意味もない。それを佐倉も
知っとるからやろ。」
「……そ、っか。斎さんはアサ姉のために……。」
「か、どうかは知らんで。あいつが善人だとは思えんしな。」
よっ、と陸斗は体を起こした。忙しないなぁ、と春緋は笑って呟く。
川面を見つめた陸斗は表情を崩さずに問う。
「お前は知っとるんか、晨陽の『祈り』。」
「…………。」
櫻家に来て一ヵ月。寝室も居室も同じだが、『祈り』の話は避けてきた、互いに。
過去に触れることになるのは必至で、それが怖い。
春緋も自分の『祈り』を話したのは、斎にだけだ。櫻家に拾ってもらうために。
「俺が話すのは反則かもしれんけど……知っといたほうがええやろ。本人には聞き
にくいやろうし、その本人も言いにくいかもしれんしな。」
「……。」
聞いてしまってもいいものか、春緋は迷う。
陸斗は胡坐をかき、真っ直ぐに春緋を見詰めて問う。
「知りたいか。」
「……うん。」
興味本位、かもしれない。けれど、闘えない事情があるならそれを知った上で、晨
陽を守りたい。
それも本音。
「俺も佐倉から聞いたんやけどな。……今からなら……五年前の話や。」
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