「綿入さん!」
「トメ……どうした?」
「やっぱりチヒコなんだね。」
「おぅ、ただいま、トメ。」
「良かった……!アンタに、言いたいことが、あるんだ。」



3.煤けた靴と黒い腹

ふらふらとウチを出て行った綿入さん、いや、チヒコを追う。
家だってもうこっちには割れてんだ、逃がすものか。

10年前、あたしは代々伝わってきた力を受け継ぐことができず、思い描いていた未来も変わっ
てしまった。
兄のように慕っていたチヒコもいなくなってしまった。
幼い頃のそんな境遇が、あたしを腹黒くしてしまったんだ。そうだ、あれらがなければきっと真
っ直ぐな心の白い子に育っていたに違いない。

家の塀沿いの道を行くと、すぐに三叉路に出る。そこを左に折れて4軒目。
10年前は毎日のように行き来していた二階建ての家がそこにある。
そういえば、チヒコが引っ越して以来、ここに来たことはなかった。
昔見ていたより小さく見える。
でも1人でここで暮らすとなれば広くて広くてしょうがないだろう。

ぴんぽーんぴんぽーんぴんぽーーーん。

1回しか押してないのに勝手に復唱する呼び鈴にビビる。

引越しの名残か、玄関先にはひもで括られたダンボールが幾束か置かれている。

「はーい。」
「裏の内田ですー。」
「はいはーい。」

ドアが内側から開くと、サンダルをひっかけてチヒコがドアノブに手を掛けたまま出て来た。

「あ、やっぱり割れてた?割れてたよね、そりゃ。」
「だって何度も来たことあるし。」
「……?何の話?ご挨拶の品でしょ?割れてた分取り替えるよ、いくつ?悪いね、わざわざ。」

家の所在が割れてることを言ってるのかと。
っていうかそんなにキン○ンいらないから。

「いや、割れてないです。」
「うっそ。奇跡!いいこと起こるかなぁ。」

いらないから嘘ついただけだけど。
こういう真っ直ぐな人を見ると、自分の黒さが窺える。
いやいやでもコイツは。

「綿入さん!」

思い切って本題に入る。ご挨拶なんてどうでもいいんだ。

「トメ……どうした?」

トメ、と呼ばれたことで再度確信する。

「やっぱりチヒコなんだね。」
「おぅ、ただいま、トメ。」

懐かしい響き。懐かしい笑顔。
一緒に遊んだこと。結婚したかったこと。秘密の儀式を見られたこと。去っていくチヒコを乗せ
た車を追いかけたこと。
想いや出来事が頭を駆け巡る。
そう、あの儀式のことも。

「良かった……!アンタに、言いたいことが、あるんだ。」

やっと出会えたことで、感無量のあたしはチヒコを見つめて、言葉を紡ぐ。

「どうしたんだ、改まって。」

チヒコがその長身を縮めてあたしを覗き込む。

「……んの、泥棒ネコがっ!!!!」

言葉と同時に繰り出した右足は見事に空を切り、あたしは文字通り、綿入家の玄関に転がり込ん
だ。
避けたチヒコもバランスを失って後ろに倒れこむ。

「……何……。」
「……。」

後ろに手をついて上体を起こしたチヒコが、床にうずくまったままのあたしを見る。
あたしにはチヒコの薄汚れたスニーカーしか見えない。きっとあたしの行く末もこんなふうに小
汚いのだろう。さすがに臭う未来は何としてでも避けようと思うが。

「……っ。」

泣けてきた。
小汚い靴を見ていたらなんか、もうどうしようもない気持ちになってきてしまった。

「どうしたの、トメ。」
「……チヒコが持ってるの。あたしが……っ……どうしても欲しかったもの……。」
「え……それにさっきの泥棒って……もしかして俺がトメから盗っちゃった?」
「持っていかれたんだよ、10年前、チヒコに。」
「ごめん。覚えてないんだけど……何だろ。返せるものなら返すし、もう遅いっていうなら俺に
できる限りのことするよ、お詫びに。言ってみな。」

ああ、この手。
ポンポンと軽く頭を撫でる手。
全然変わってない。

変わっていないなら。
好都合。

「……力……。」
「力?」

チヒコは怪訝な顔をする。

「そう……言うなれば力。さらに言えば将来。そしてさらに言えば人生設計。まさにあたしの人
生。最終的にはあたしの子孫。アンタを七代祟っても足りないわ!!」

ぽかん、とアホ面を晒すチヒコ。

「俺がトメの人生を……?」
「そう。あたしがお堂でじじいと儀式を迎えた日。アンタが障子を倒した。」
「あれは張り替えるの手伝ったじゃん。」
「黙れ、女狐が!!」
「コーン(雄です)。」
「狐はコンコン鳴かない!人間の淡い幻想だ!!」

相変わらず地に手足をついたあたしに、チヒコはヤンキー座りをして目線を合わせる。

「ごめんね、ほんとに思い出せない。」
「わからせてやるから。」

中指と薬指を親指にくっつけて、キツネさんを作ったままチヒコが謝る。

「アンタ、あの後からじゃない?いろいろ見え出したの。」
「そう!!そうなんだよ……恐ろしい……。」
「やっぱり……。じじいが言ってたんだ。じじいの元にも戻ってないし、あたしにも受け継がれ
てないしどこかへ行ってしまったって。」
「……何が?」
「内田家に伝承されてる霊媒師の力だよ。アンタが持ってったものそのものだよ。」

チヒコの目を真っ直ぐに見て告げた。

「……………………………は?」
「できる限りのことしてくれるって言ったよねぇ。ちょっとウチまで来てもらえるかな?
綿入治一彦くん。」
「……はい……?」

満面の笑みでチヒコに言うと、チヒコも引き攣った笑顔を返してきた。
そう、アレがなければ、きっとあたしは腹黒くなんかならなかった。絶対に。

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