「綿入くん。わしが霊媒師の仕事をできなくなってから早10年。依頼をお断りし
続けて早10年。収入が減ってからはや10年。十芽女が腹黒くなってから早10
年。」
「最後に関しては16年ですよ。」
「生まれてからって言いたいのか!」
「いたっいたいいたいいたたたた。」
~4.答辞と選手宣誓~
つい10分程前に家をふらふらと出て行った男を再び連れて、十芽女が戻ってきた。
「将志くん、じじいお堂に呼んでっ!」
「住職帰ってきたばっかりで……あれ、綿入くん、こんにちは。」
「……こんにちは……。」
「何悠長に挨拶かましてるんだ!!早く!」
そう言って十芽女はお堂への石段を登っていった。無論、治一彦も引き摺られるよ
うにして。
「十芽女、何だこんなところに。……そちらは?」
「泥棒猫。」
「にゃん……。」
「猫憑きか?」
「あーもーバカばっかり……!!」
お堂の真ん中で正座をして向かい合う祖父と孫。
客人は、それこそまるで借りてきた猫のようにしゅん、として十芽女の隣に座って
いる。
「見覚えないの?こいつに。じいちゃん。」
「お前が始めてわしを『じじい』と呼んだ日なら鮮明に覚えとる。」
「余計なことを……。」
「余計とはなんだ!わしのブロークン・ハート記念日!!」
「どーでもいいこと覚えるのに脳細胞使うから、毛根の命が果ててくんだよ、この
ハゲチャビン!!」
表情は、くわっ、と噛み付きそうな二人だが、正座の姿勢は崩さない。背筋が伸び
ていて非常に美しい。
「あの、本題に……。」
借りてきた猫が促す。
「ハゲチャビン呼ばわりされて引き下がれというのか、この若造が!!」
「部外者は引っ込んでな!!」
祖父と孫のダブルパンチに、猫は蛙に変わる。蛇に睨まれた蛙に。
「じゃあ、帰り、ます……。」
部外者、と言われてここに存在する理由がない、と判断した治一彦は立ち上がる。
「張本人が帰ろうとしてんじゃない!!」
「だって今部外者って……!」
十芽女に素早く足をつかまれ、ひぃ、と一声漏らし、一応抵抗してみる。
と、いうか支離滅裂なのは向こうだ。俺は悪くない、と自分に言い聞かせる。
「それとこれとは話が別でしょ?」
溜息混じりに言われ、そうなのか、と大人しく座ることにした。
「じいちゃん、こいつ、昔近所に住んでたの覚えてない?」
「あ、綿入治一彦と申します。」
「ふん?」
やっぱり覚えていないようだ。
「でね、霊媒師の力の継承のときに乱入してきたのがこいつなの。」
「あの坊主か……。」
「あの時はご迷惑をおかけしました。」
「現在進行形で迷惑かけられてんだよ、女狐が。」
七変化チヒコ。
「どういうことだ、十芽女。」
「言ってたじゃん、じいちゃん。『霊媒師の力がどこかに行ってしまった』って。術
師のじいちゃんのとこに戻るわけでもなく、あたしに継承されたわけでもなく。」
「確かにそうだが……。」
「で、あの事故の後から、チヒコがいろいろ見えるようになったんだって。そりゃも
うすごいレベルで。」
じじいの視線が、熱く治一彦に注がれる。
「そうなのか、綿入くん。」
「……は、い。」
「では、綿入くんが力を持っているかもしれない、ということなのだな?」
じじいが治一彦に問う。
「そうとしか考えらんないでしょ。」
っち、という舌打ちと共に十芽女が零す。
「チヒコ、久しぶりに会ったけど、中身が全然変わってなくて。それならこっちの
強引な頼みもきいてくれるよね、と思って連れてきたの。そもそも悪いのはチヒコ
だし。」
「十芽女……。」
「何よ。」
「……どんな育てられ方をしたんだ……。」
目に薄っすらと涙を溜めて見つめる祖父。それを隠すかのように、彼は立ち上がっ
た。
ご本尊様に手を合わせてから、その足元を探る。
ごそっ、と取り出したのはお経だった。
つらつらと、長い紙が、畳まれているもの。そう、卒業式の答辞みたいな畳み方し
てあるやつ。
表紙と裏表紙の部分だけは、藍色というか青緑の厚地になっている。だいぶ古いも
のなのか、周りは少し擦り切れている。
じじいが、ぱらりと頁を繰った。
治一彦にそれを見せる。十芽女も隣から覗き込んだ。
「……お経、じゃない……?」
「綿入くん、これが読めるかね?」
「読めません。」
「でも、どうやら見えてはいるようだな。」
「え?あ、はい。」
「力を失ったわしにはもう見ることはできん。」
「何?見えるって……?」
十芽女には真っ白な、ただ少し縁が黄ばんだ紙が見えるだけだった。
「力を受け継いだ者のみに見えるものだ。これまでに成仏させてきた魂の記録だ。
……まぁ、古い書体なので読めるかどうかは別として。」
そのままそれを治一彦の手の平にぽん、と置く。
手渡されて、治一彦はぱらぱらと紙を捲ってみる。
「しかし、内田以外の人間にも器があるとは驚いたな。」
「どっかに飛んでいっちゃうよりも、手近な人間に納まったのはラッキーだったね。
しかもそれがチヒコだし。」
「……トメ、それは扱いやすいってこと……?」
「わかってるじゃーん。」
頁を繰っていた手が止まる。
それまで書き連ねられていた文字がなくなり、治一彦が見ても白紙なのである。
そして、はた、と気がつく。
「……ちょっと待って。『扱う』って……さ……。つまり……。」
そう、自分でも知らずのうちに雰囲気や話の流れに乗ってしまっていたが。
力があると連れてこられ。
魂を記録する冊子を渡され。
扱いやすいと言われ(自己申告)。
冊子を持つ手が震える。
「「霊媒師、やってもらいます。」」
祖父と孫のハーモニー。お前ら、仲悪かったんじゃないのか。
「お断りします。」
冊子をじじいの胸元に押し付けて即答する。
しかし即座にその手首を掴まれる。
「綿入くん。わしが霊媒師の仕事をできなくなってから早10年。依頼をお断りし
続けて早10年。収入が減ってからはや10年。十芽女が腹黒くなってから早10
年。」
「最後に関しては16年ですよ。」
「生まれてからって言いたいのか!」
「いたっいたいいたいいたたたた。」
両手首をじじいに掴まれ、孫にヘッドロックをかまされる。
これ絶対背骨いく。ぼきって……!
仲悪かったんじゃないのか!!
「君が力を持っているんだ。それで魂や、それに惑わされる人を救える。やってく
れんか。」
「嫌……です……っう!」
「あたしはやりたくてもできないってのに!!」
十芽女の腕にさらに力が入る。
一瞬思案したじじいが十芽女を見つめる。
「十芽女。わしが仕事しているのを昔見ていたな。覚えているか。」
「もちろん。」
「そのとき教えた祓い方は?」
「忘れてない。」
力が緩んだのを見逃さず、治一彦が十芽女の腕から抜け出した。
「見えるだけでも怖いのに、じょ、成仏とか祓うとか……無理です!絶対無理で
す!!」
「1人でやれとは言わん。」
「…………は?」
そう言ってじじいは再び立ち上がり、ご本尊様の隣、侍従のように召しているも
う一体の像に近づく。
そしてその手に握られていた杖をすらりと引き抜いた。
杖は、長い間使い込まれたことが窺えた。
木製で濃い茶色。先端近くに縄が少し巻いてあり、そこから紙垂が2本垂れている。
杖というよりは木刀に近いイメージを治一彦は抱いた。
「十芽女。」
「すっごい久しぶりに持った……。」
「霊媒師の力を持っているのは綿入くんだが、知識と技術を持っているのはお前
だ。」
「はい。」
「え、嫌ですよ、2人になったからって。」
「さっきの冊子は途中から白紙になっとらんかったか?」
「……なってました、確かに。」
「あれは不思議なものでな。救われない魂がある限り白紙が続く。わしも全てを
埋める前に力を失った。」
そういうことだったのか。
「苦しむ魂があるなら救わなきゃ。力があるんだから。」
「……。」
俯いて考え込む治一彦。使命と本音が闘う。
俯いた頭。髪を立てているせいか、やっぱり少し薄く見える。
あと一押し、腹黒い人間がそれを見逃すわけがない。
「助ける方法を知ってしまったのに、チヒコは見ない振りするの?これからも。」
「……っ!」
クリティカル。
「……1つ、いいですか。」
目線だけを上げて、治一彦が問う。
「なんだね。」
「見える俺がいます。祓う方法を知る十芽女がいます。」
「何わかりきったこと――」
「見えない人がどうやって祓うんですか。」
!!!!!
「……あ、あとはまぁ若い二人で……。」
「腐れじじい!!」
「お前だって気づいてなかっただろうが!」
「初心者だもんよ!」
やっぱり仲が悪いのか。そして頭も悪いんだな。
「……………………。」
溜息をもらした憐れな姿を見てくれたのは、ご本尊様だけかもしれない。
NEXT:完全見切り発車。
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