「もうリクっ……恥ずかしいからあんまり昔の話しないでよっ。」
「そんなに昔じゃないやろー?」
「……アサ姉、リクの恥ずかしい話教えて。」
「いくらでもあるわよ。」
「やめぇや、ハル、晨陽まで……。」



~4.過去、そして今~

――あの頃。
そんなに昔のことではない。のに。
見えるもの、触れるもの、感じるもの全てを敵にしていた。そうして自分を保っていた。
1ヶ月前のあの日、斎が見つけてくれた、そんなあたしを。そして手を差し伸べてくれた。
それはあたしのためであり、櫻家のためであり、斎のためでもあった。
あの時の斎は、天使にも、死神にも見えた。
全てを了承して、ここに来た。
そして今は、安らぎに囲まれて。

「よかったわ、馴染んでくれて。…でも喧嘩はほどほどにね。」

くすり、と微笑んで、調理場から出てきた晨陽が春緋の頭を抱えて抱き寄せる。

「僕も今のハルの方が好きー!」

海俐が飛びついてくる。
憎らしいガキも可愛らしく見えるではないか。
こんなあたしでも、今の方がいいとは、前の状態なんて思い出したくもなくなる。
きっと、彼らが今のあたしにしてくれたんだろう。温かいこの場所で。
まだ照れくさくて、ありがとう。も、大好き。も言えないけれど。
大切に思っているんだ。

少し頬を赤らめて、春緋は微笑んだ。まだ俯きがちではあるが。
それを見て、可愛らしくなってもうて。と陸斗が一人呟く。
本当にここに来たばかりの頃とは別人のようだ。

「お勘定お願いして宜しいでしょうか。」
「はいっ。」

店内にいた客に声を掛けられ、元気の良い返事をして春緋が応対に出る。

「驚いたわ。」
「?」

少し年配の女性客が、巾着から小銭を取り出しながら言った。左手で春緋の右手を取り、
右手で小銭を、手に取った春緋の手に収める。鈍く金属音が鳴る。

「久々にお邪魔したら、こんなに可愛らしくて元気な方が増えていて。また来るわ。
店長様に宜しくお伝えくださいましね。」
「奥様、ありがとうございました。また。」

晨陽が店の奥から声を掛けた。
女性と晨陽の様子からしてお得意様らしい。
からん、と下駄の音をさせて女性は暖簾をくぐっていった。
赤い唐傘と羽織がとても上品だ。

「ありがとうございましたっ。」

春緋も慌てて女性を追いかけ、深々と頭を下げる。
雨はあがっていて、もう傘の必要はなさそうだった。
とても嬉しい気分だ。

店内に帰り、お金入れにしている小さなざるに戴いた小銭を入れる。

「アサ姉、今の方、間違えて多く払っていかれた……!」

春緋は返さなきゃ、と余分の分を数えて手に取る。今から追いかけて間に合うだろうか。
片付けの手を止めて、晨陽が顔を上げる。

「きっと春緋の分よ。あなたのこと仰ってたでしょう。奥様はそういう方だから。
戴いておきなさい、春緋。」
「え……。」

申し訳なさや、有難さより、驚きの方が大きかったようで、春緋はそのまま握った小銭を
見つめていた。

こんなにまでしてもらえるなんて……。
こんな日が来るなんて、あの頃に考えられただろうか。


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